幻の六大老~もし存命なら歴史が変わっていた!?~

関ヶ原の戦い

秀吉亡き後の豊臣政権において最高職である五大老は実は六人存在したのですが、その内の一人、小早川隆景が任命後に早くして隠居、死去した為、あまりその事は知られていません。(※隆景を初代五大老、隆景の後に上杉景勝が入り今に知られる五大老になったという見方もあります。)

隆景は独立した大名ではありましたが実質毛利家の家臣でもありました。そういった立場にありながら豊臣政権の最高役職である五大老に名を連ねていた事からも、隆景の優秀さや、いかに秀吉からの信頼が厚かったかがうかがえます。特に知略に優れ、隆景が死去した際には、あの天才軍師、黒田如水(官兵衛)が「これで日本に賢人はいなくなった」と嘆いたといわれています。

もし隆景が関ヶ原の戦いまで健在だったらどうなっていたでしょう?

1.関ヶ原の戦い自体が起こらなかった
豊臣政権(毛利家)の安泰を図って調停に奔走し大乱が起こるのを防いだ。隆景が目を光らせている間は家康もうかつに天下取りに舵を取れなかったものと思われますし、また、三成にしても本来は武力行使ではなく政治力によって家康を抑えたかったはずなので、隆景を頼りに家康を牽制し(実際、生前に利家を頼りにしていたように)大きな戦には発展しなかった可能性が考えられます。

2.東軍に味方した
隆景は先を見通す事に長けていたので、時流が家康にある事を読んで毛利一門で東軍に味方し圧倒的な兵力差で東軍が勝利を収めた。(※秀吉が天下を取った際にも隆景はそれを見通し早くから秀吉に与しています。)

3.西軍に味方した
時流が家康にある事を見越した上で、さらにその先を読み、毛利、小早川、吉川を一枚岩にまとめ上げ西軍に味方して勝利を収めた。隆景は人望があり外交手腕にも長けていたので、より多くの大名を味方につけ、また、裏切りも抑えられた可能性もあります。

※東軍について勝利したとしても、その後、家康が有力大名の力を削いてくるといった恐れがあります。(実際、上杉討伐の発令や前田討伐の布告といった例もあります)逆に西軍について勝利した場合は、家康は失脚し豊臣政権において毛利家の立場は絶対的なものとなり安泰は約束されたようなものです。毛利家の繁栄を何よりも優先した隆景がこのような考えに至ったとしても不思議はないと思います。

4.中立の立場を取り、関ヶ原の戦いには参加しなかった
父、毛利元就の遺訓「我、天下を競望せず」の教えを守り、天下に関わるような大きな戦いには参加しなかった。(輝元を説得して毛利家も参加させなかった。)毛利家の存続を第一に考えていた隆景は、どちらが勝利しても毛利家に被害が及ばないよう、関ヶ原の戦いが表面化する前に何かしら巧く立ち回って巻き込まれないようにした。

勝負は時の運。絶対に負けない為にはこの方法しかありません。野心がなく慎重な隆景の性格からして個人的にはこうなる可能性が一番高かったのではないかと思います。

いずれにしても、もし隆景が生きていれば毛利家が29万8千石にまで減封されるといった憂目にあうことはなかった はずです。

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